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2009年11月16日

一町地蔵の並ぶ横手道。

今日は鳥取県立大山自然歴史館のボランティア(山岳情報スタッフ)の仕事で、横手道に行ってきました。

一丁地蔵の並ぶ横手道・その1
横手道とは、いわゆる“大山道”の一つです。
かつて大山寺に地蔵菩薩が祀られたことで、地蔵を信仰する人々が亡くなった人を供養するために、数多く訪れたこと。
また江戸時代には、大山で日本有数の牛馬市が開かれるようになり、牛馬を連れた多くの人々が大山寺を参拝するようになったこと。
そのような事情で、大山に詣でる人のために整備されるようになった道が“大山道”であり、全部で5つの道があるのだそうです。
今回歩いた横手道は、大山の山腹を横切る道であることから名付けられたそうで、アップダウンのほとんどない、ごく軽いハイキングコースとして今も多くの人に歩かれています。
展望はほとんどないのですが、途中の枡水高原の一角は木が刈り払われていて、写真のような大展望を楽しむことができます。
遠くに見えるのは孝霊山(こうれいさん・751.4m)で、米子市内からは大山と並んでよく目立つ山です。

ところでこの横手道、これまで何回か歩いたことはあるのですが、晩秋の時期に訪れるのは今回が初めて。
いつもは草木に隠されていたであろう地蔵菩薩の石仏が、あちこちに置かれていることに気がついたのでした。
確かこれは…横手道に一町(約109m)ごとに置かれている、一町地蔵では?
さっそくその普段は目にしない石仏を、写真に収めることにしました。
(実は私はけっこう石仏好きなのです)

一丁地蔵の並ぶ横手道・その2
これは横手口を入って、すぐ左にあった石仏です。
一町地蔵には番号が振られているのですが、これは番号があったであろう部分が欠けてしまっているので、どうなのかは不明。
一町地蔵だとしたら、たぶん「二十九番地蔵」だと思います。

一丁地蔵の並ぶ横手道・その3
これは「二十八番地蔵」。
笹に隠れていて、見つけにくい位置にありました。

一丁地蔵の並ぶ横手道・その4
これは「十八番地蔵」。
保存状態が良く、施主や供養の対象である、亡くなられた方の戒名まではっきりと読み取ることができます。

一丁地蔵の並ぶ横手道・その5
「十七番地蔵」。
ちょうど首のあたりで割れているのは、明治3年の廃仏毀釈の際に、傷つけられた跡なのかもしれません。

一丁地蔵の並ぶ横手道・その6
「十六番地蔵」。
これは苔が凄いです。

一丁地蔵の並ぶ横手道・その7
左手に立つのが、「十四番地蔵」。
この横手道は、車道(大山環状道路)が近くに通ってはいるのですが、静かな落ち着いた雰囲気の道なのです。

一丁地蔵の並ぶ横手道・その8
これは「十一番地蔵」。
“備中”書かれた文字が読めますが、一町地蔵は近隣の村や米子のみならず、但馬や城崎、そしてこの備中など、遠い土地からの寄進があったのだそうです。

一丁地蔵の並ぶ横手道・その9
「十番地蔵」。
これも首のところで割れた跡が残っています。。

一丁地蔵の並ぶ横手道・その10
右手の石仏が「九番地蔵」です。
作りが細かく、状態の良い石仏でした。

この先、横手別れと呼ばれる分岐点からの歩道は新しく開かれた、一町地蔵がない道となっています。
車道の脇に三~七番の地蔵が置かれているのですが、今日は登山道の調査が目的なので、そちらの見学はまた次の機会ということになりました。

<お知らせ>
今回撮影した動植物の写真は、大山自然歴史館にお渡ししています。
もしかしたらホームページのどこかに使用されているかも?しれませんので、ぜひご覧になってみてください。


関連リンク:鳥取県立大山自然歴史館

2009年11月16日 伯耆大山と周辺 コメント:0












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