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2011年11月08日

古事記の舞台であった山々へ。

比婆山連峰登山2日目は、大膳原野営場の休憩所を後にして、まずは吾妻山(あづまやま・1238.8m)へと登りました。
今年は8月9月にそれぞれ1度ずつ山頂に立っているので、これで3回目ということになります。

古事記の舞台であった山々へ・その1
ところで今回訪ねた比婆山連峰は、古事記(日本神話)の舞台であったことでも知られています。
この吾妻山山頂も、伊邪那岐命が比婆山頂の御陵に眠る伊邪那美命に向かって、
「吾が妻よ…」
と呼んだという言い伝えが残っている場所なのです。
しかし…今回はガスのため、視界はまったくなし。
その比婆山(御陵)を望むことはできませんでした。
残念!です。。

古事記の舞台であった山々へ・その2
しかし吾妻山頂上から南ノ原回りで大膳原に戻ると、少しずつ雲が切れて視界が広がるようになってきました。

古事記の舞台であった山々へ・その3
大膳原からは出雲峠への道を登り返し、途中から右にそれて比婆山(ひばさん・1264m)方面へ。
山頂直下で右下に分かれる小道へ寄り道すると、「産子の岩戸」と呼ばれる割れたような岩が現れました。
この比婆山周辺に点在する、奇岩の一つです。

古事記の舞台であった山々へ・その4
さらに小道を進むと、「太鼓岩」が現れました。
叩くと低く響く音がするとのことなので叩いてみましたが、特に変わった感じはありませんでした。。

古事記の舞台であった山々へ・その5
さて太鼓岩の先を登り返し、反対側から回り込むように戻れば、比婆山の頂上です。
この頂上のこんもりとしたところは「御陵」と呼ばれていて、伊邪那美命が眠るお墓とされる大変に神聖な場所です。
幕末以降、この場所を参拝することは盛んに行われていたようですが、明治20年に何らかの理由によってそのことが禁じられたため、現在では知る人もあまりなく、ひっそりとした佇まいとなっているのでした。

古事記の舞台であった山々へ・その6
さて比婆山頂からは南に稜線をたどり、展望の良いピークである池ノ段(いけのだん)へ。
振り返ると先ほど登った吾妻山(左の尖ったピーク)と比婆山(右手、頂上に御陵の木立が見える)を一望することができました。

古事記の舞台であった山々へ・その7
さらにもう少しだけ南の、池ノ段の三角点(1279.5m)ピークにも足を運びました。
これはその三角点付近から見た写真で、左手前が池ノ段、右のシルエットになっている山が比婆山連峰の最高峰である立烏帽子山(たてえぼしやま・1299m)です。

古事記の舞台であった山々へ・その8
池ノ段の三角点から引き返し、東に進んで立烏帽子山の頂上へ。
木々に覆われた、小さな山頂でした。

古事記の舞台であった山々へ・その9
立烏帽子山からはすぐ下にある駐車場に下り、そこから林道を歩いて山頂南面の「伊邪那美命の隠れ穴」も見学しました。
伊邪那美命を訪ねてきた伊邪那岐命がここで櫛に火を灯して通った場所だとか、火の神を産んだ伊邪那美命が亡くなった穴だとか、そのような言い伝えが残っている穴です。

古事記の舞台であった山々へ・その10
駐車場まで戻った後は、ささの尾根を下って県民の森公園センターへ。
途中の展望園地からは、前日に登った牛曳山(うしびきやま・1144m、右)と伊良谷山(いらだにやま・1148.9m、左)の姿を一望することができました。
今回は久し振りに一人での山歩きを満喫した、楽しい2日間となりました。

2011年11月08日 その他の山々 コメント:0












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